履き違えた正義[どうでもいいこと]
(2013-11-05 18:13:33) by hayato


どうもお疲れ様です。

先月末くらいかな、年配の方とお話をすることがありました。
何と言うか、今となっては珍しいことでもなくなってきた気がしますので、別に今更何とも思わないですが、若造に対しての目の向け方ってのは結構厳しいモノがありますね。

年代間のギャップって必ずあるモノで、これは避けて通れないと思ってたりします。
まぁやりたいようにやってるぼくだったりするので別に何でもいいんですけど、ディスカッションをする時は、話の背景や認識くらいは併せないと、話は必ず平行線になるだけで。

先日、秋の遊園会で山本太郎氏が天皇陛下に原発に関する手紙を渡していました。

何と言うか、ここまで来ると議員の資格がないんじゃないかと思ったり。
明らかにやりすぎです。
挽回することで許されるミスと、挽回とかそういう話ではないミスが世の中には存在すると思っています。
この問題は間違いなく後者のミスじゃないかなぁ・・・と思ったり。

以前から山本氏の発言には疑問を感じるところがあるわけですが、やはり考え方に問題があるようです。

原発や TPP や社会保障について色々言うのは一向に構わないと思いますが、やり方と自身の持つ能力や実力は考えなきゃいけないと思ってたりします。

そもそも全てを救おうなんてのは間違ってると思ってます。
富裕層の方の富は、富裕層の方なりに努力をした結果です。
富裕層になれなかった、若しくはなれない低所得層の方の努力は、富裕層になった方々の努力に比べると、遥かに劣るモノかもしれません。
そのような状態で、富裕層の方々を羨んで物乞いするのはどうかなと。

ぶっちゃけ、原発の何が良くて何が悪いのか、少なくともぼくには伝わってません。
今までの日本事情、海外事情、東日本大震災以降の日本の原発事情とエネルギー事情、これらに関する数字もかなり曖昧な状態のように見受けています。
以下のブログ様に色々なことが書かれています。

放射線の基準値と量についてまとめてみた

職業人と一般人の違いって何?
とか、そもそも論的に可笑しいですよね。
コメントにも、「らいしいですよ。」と正確か否かも分からないデータが載ってたり。
兎角、そういう曖昧な話が多い中で正論を語ろうと思っても、そもそも何が正しいのか分からないはずなのに、正論を語るにも語れないように思います。

そんな状態の中で、「危険だ!」と言っても、全く説得力がないわけで。
「気付いてからでは遅い。」
というのであれば、自身の過ちにまずは気付くべきです。
人に話を聞いてもらうためには、それ相応の努力が必要です。
その努力を惜しんで秋の遊園会という場を選ぶ人に何が出来るのか、甚だ疑問です。

兎角、その時々の背景や状況などを的確に見抜いて策を講じなければ正義論が正義論ではなくなると思ってる次第ですが、まさに履き違えた正義かなと。

そんなことを思った今日この頃です。

Tags: 山本太郎, 正義


コメント(3)
次の記事へ >
< 前の記事へ
TOPへ戻る

Powered by
MT4i 3.1